この高さから考える

フィリピン・ダバオからお届けするミニマリスト生活

ブログはインタラクティブな自叙伝!



 

ブログの存在意義

ブログのあり方について少しモヤモヤしていて、自分とブログの距離感などに付いて考えてみました。

僕にとってブログとは、「インタラクティブな自叙伝」なんだと思います。

ブログのことやミニマリスト関係で考え事をするときは、とりあえず先天性ミニマリストブロガー id:A1rironさんのブログで検索をします。

今回の検索ワードは「ブログ 変態」

そしてたどり着いたのがこちらの記事。

http://okite.hatenadiary.jp/entry/rootfolderhablog


(結構な確率で1,2年前の記事にたどり着きます。しかも割とはてブ少なめの記事が、僕の琴線に触れるようです笑)


「人生のいろんな要素をフォルダに例えて分類すると、A1さんはブログが一番上に来る」という記事です。読んでいて最初は違和感があったのですが、色々整理しているうちに僕のルートフォルダもブログに近いのではないかと思うようになりました。


そもそもなぜブログを書きたいのか

基本的には「自分の記憶を記録に変換したい」という思いで記事を書いています。人間の記憶には限界があって、時間ともに忘れてしまうものです。しかし記録として残しておけば、一応見たいときに引き出せます。

ではなぜ記録を残したいのかというと、「自分の経験や感情をいつか見返したい」と思っているからです。どんな些細なことでも、後になって振り返ればいい思い出になっていることでしょう。辛かったことも克服した後に見れば自信につながるはず。

あとこの世には「忘れたくない/忘れてはいけない感情」の的なものがある気がしています。(どの感情がそれに当たるのか判断できない場合も多いですが笑。)「悔しかった/辛かった」のような思いもあると思いますが、それ以上に「外国で誰々に親切にしてもらった」のような感謝とか喜びの気持ちなどに多いと思います。

ずっと頭から離れないような衝撃的な感情もありますが、全てを覚えてられるほど僕の頭は容量が多くありません。

まるで16GBしかないスマホのように。

ライフログを始めてみる

そこでまず始めたのがライフログと呼ばれるものでした。(厳密にはユビキタスキャプチャーとの合わせ技でした。)

「考えていること、思ったこと、そして起こったことなど」をすべてノートに記していました。そこそこ楽しかったのですが、いざ見返そうとしたときの負担がかなり大きかったです。パラパラ見返せるけども検索性や視認性はあまりよくない。しかも1年で小さいノートを20冊くらい消費しました。

ちょうど1年前だったと思います。ミニマリストになると決めたタイミング、また日本から出るタイミング(現在はフィリピン・ダバオで生活しています。)で、ノートを使いつづけるのは現実的ではないと思いました。

ミニマリストかつ海外で移動しながら生活するってなったら、ノートの置き場がないし持ち運べないじゃん!それに海外じゃ測量野帳手に入らない!笑来


ブログを始めてみる

そこでノートの代わりにと始めたのがブログです。前のブログは1年放置してしまいましたが、その間の記録が残っていないと思うと非常に悲しいです。

ライフログとしてのブログがノートに比べて優れているところはたくさんありました。(あるはず。)

・誰かが記事に反応してくれれば、記事のことを思い出せる。 
・記事のリライトをするという名目で、記事を見返すことができる。
・記事をカテゴリ分けすることができる。
・年月日やワードで記事を検索できる。
・関連記事を表示する機能もある。

などなど。誰かに見せることになるので書ける内容は紙より60%くらい減っているかもしれませんが、その他のメリットが大きすぎる!ただのライフログがインタラクティブになるのは素晴らしいことです。

自叙伝を残したい

実は中学生くらいとき、「すごい発明や発見をして理科の教科書に名前を載せる」という夢を持っていました。

人間には、「自分の生存証明をしたい」という欲求がもともとあるのですが、少なくとも人類の歴史の大部分においては、「歴史書に自分が生きてきた証を残せる人」というのは、ごく一部の「英雄」とか「偉人」だけでした。

ブログは「自伝」なのだろうか? - 琥珀色の戯言


これはもともとある人間の欲求のようですね笑。正常でよかった。

また積極的にというわけではありませんが、仮に自分が結婚をして子供ができたとして、自分が先に死んでしまったとします。そんなときには、もし彼らが希望するならライフログを読んでもらってもいいかなーとか考えていました。これってある意味自叙伝なのでは?

僕自身は、今までに何度か、こうしてブログや日記に書いているのは「書きつづけられる遺書」なのだと言明していますが、それは今も基本的には変わりません。僕の場合は、かなり「自伝的」なものであるという意識は持っています。

ブログは「自伝」なのだろうか? - 琥珀色の戯言

 
似たようなことをブログに感じている方もいるようです。自叙伝として自分の思考や行動をブログに残すのもありですね。なので厳密にルートフォルダがブログなのかと言われれば微妙ですが、ライフログ(自叙伝)がかなり上の階層にいることは間違いなく、しかもその下には「行動や感情」といったものが含まれています。


ブログで感じた副次的なメリット

この他にもブログにはメリットがありました。副次的だったのですが、気の合う仲間を見つけることに役立つと感じています。

元々自叙伝を読んでから絡んでいるため、気が合う可能性が高いのも納得です。

学校のクラス替えや入学式後にありがちな「趣味を小出しにしつつ、ドン引きされて嫌われないように、かつ馬が合うか調べる」必要がある、最初の数ヶ月が省けるんです!笑

だからブログを通して友達ができても今のご時世全然不思議じゃないし、ブログお見合いとかブログ婚とかあってもいいんじゃないかなw

記事分析&マッチングをしてみてオフ会!みたいな笑
プロフィールを提出する代わりに人気記事と読んでほしい記事を交換するとか。

はてなさん、どうぞこのアイデア使ってくださいw 

 


そんなのことは置いておいて、これからもインタラクティブな自叙伝をよろしくお願いします。